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中村紘子著「チャイコフスキー・コンクール」より

一昨日から読み始めましたが、こちらも大変面白い内容です。

 

? ヴァン・クライバーン

1958年に開かれた第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝したのは、アメリカ人のヴァン・クライバーン。本人はニューヨークのジュリアード音楽院で勉強した後、テキサスの故郷の街に帰って母親のピアノ教室の手伝いなんかやってたそうですが、チャイコフスキーコンクール開催が決まって、恩師に呼び戻され、渋々(?) 受けてみたところ、見事優勝してしまった! 彼の演奏スタイルはモスクワの人々に熱烈に受け入れられ、予選から彼の人気はうなぎのぼり。第1回の優勝者は自国から出したかったソビエト首脳陣は慌てたそうです。

 

ただ優勝してアメリカに帰国したクライバーンを待っていたのは、「国民的英雄」としての熱狂的な歓迎とコンサート攻め。彼は休む間もなく弾き続けたため、神経をすり減らし全身の筋肉は疲弊し、数年でまともな演奏活動はできなくなってしまったそうです。(チェハはこうなっては困りますよね)。

 

? ウラディミ-ル・アシュケナージ

アシュケナージは10代でショパン・コンクール第2位、ついでエリザベス・コンクールで第1位を獲得しており、1962年に第2回チャイコフスキー・コンクールが開催される頃には、海外でも人気の若手ピアニストになっていたため、これ以上のタイトルは必要ない状況だったようです。しかし第1回のチャイコフスキー・コンクールで無名のアメリカ人ヴァン・クライバーンに優勝をさらわれたため、ソビエト首脳陣としては何が何でも第2回にはソ連人に優勝してもらわなければ、とアシュケナージに強力な出場要請をしたそうです。彼はもろもろの個人的事情により断りきれず、出場はしたものの、第1位をイギリス人のジョン・オグドンと分け合うという結果に終わり、その後西側に亡命したため、モスクワでは彼の名前が受賞者リストから外されてしまったとか。

音楽の世界にあまり政治的要素が介入してくるのは、1ファンとしては悲しい限りです。

 

? 採点について

ヴァン・クライバーンのようなスーパースターが出場者の中にいれば、順位をつけるのもさほど難しくはないようです。しかし、第1次、第2次予選では評判にもならず、辛うじて本選に進んだ人が優勝してしまうこともあり、独奏曲では素晴らしい演奏をした人が、協奏曲で大失敗をしてしまうこともあり、最後まで聴かないと誰が優勝するかはわからないものだそうです。

また審査員全員が「今年は1位該当者なし」という判定を下しても、スポンサーの意向で審査を曲げざるを得ないこともあり、またある審査員が「同国人」の入賞を望んだために他の参加者に対する採点が若干辛くなってしまうこともあり、「実力」だけでなく「つき」も入賞や優勝に大きく影響するものだそうです。

特に外国からの参加者(特にアジア出身者)は、カルチャーショックとも戦わねばならず、その負担たるや相当なものだとか。

 

チェハは韓国人ではありましたが、長らくウィーンで暮らしてきましたから、コンクールのためにアジアから出てきた人に比べると随分やりやすかったことでしょう。多分につきもあったかもしれませんが。

 

長くなりましたので、今日はここまで。また後日続きをお話したいと思います。

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そよかぜおばさん

Author:そよかぜおばさん
韓国ドラマ「春のワルツ」で描かれなかった15年間に興味を持ち、何とかこの空白を埋めてみよう!と皆さんからアイデアを頂きながら進めてきました。ドラマ後の物語(ピアニスト クリス・ユンの復活)も同時進行させています。「空白の15年」はまだ6年ほど残っていますが、「復活編」はひとまず完結いたしました。


これとは別に趣味のクラシック音楽の話、印象に残った本やテレビ番組、映画の感想など思いつくまま気の向くままにお話ししたいと思います。

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