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SPRING WALTZ  -ドラマの後の物語-

(5)

 

 その夜、子どもたちを寝かせてからスホはウニョンに自分の決意を告げた。
「今日、卒業祝賀会で演奏して決心がついた。ウニョン、僕はまたピアニストとしてステージに立ちたい。僕の演奏会に足を運んでくれるお客さんたちに僕のピアノを聞いてもらって、音楽の素晴らしさを伝えたいんだ。もう一度プロとしてステージに立つためにはこれから猛練習しなくちゃいけないし、軌道に乗るまでは苦労をかけると思うけど、精一杯頑張るから子どもたちと一緒に僕について来てほしい。」
 自分の目をしっかりと見つめてひと言ひと言真剣に話すスホに、ウニョンは黙って頷いた。
「もちろんよ。それでこれからどうするの?」
「島を出てソウルに行く。仕事も辞めてもう後戻りできないところで、とことん自分を追い込んでみたいんだ。それくらいの覚悟でいないとやり遂げられないと思う。ピアノをやめてもう九年だ。全く弾いてなかったわけじゃないけど、この九年のブランクを埋めるのは並大抵のことじゃない。ここは本当にいいところだけど本気でピアノに打ち込める環境じゃないんだ。ソウルで住まいと僕の練習室を借りて僕はそこへ練習に通うよ。防音は考えるにしても、僕が一日中家でピアノを弾いてたんじゃ、君や子どもたちもたまらないだろう? 僕も家だと集中しきれないところがあるしね。また年に何度かでもレッスンを受けたいし、いい演奏もたくさん聞きたい。これからやらなければいけないことはたくさんあるんだ。」
「そう。じゃ島を出るのは、なるべく早い方がいいのよね?」
「ああ。時間を無駄にしたくないからね。ただそうなると可哀想なのは…」
「ヘジンよね…。」
「そうなんだ。ヘジンは三月から小学校に通うのを本当に楽しみにしているだろう? それを思うと申し訳なくってね。ある意味、最悪のタイミングだから。」
「大きくなったらソウルに行こう、って話してはきたけれど、ヘジンはまだまだ先のつもりでいるわ。あの子はしっかりしている分頑固なところもあるし、きちんと言って聞かせないとね。」
「ああ。とにかく明日、学校から帰ったら話してみるよ。僕の話が全部わかるとは思えないけれど、僕の気持ちはわかってほしいんだ。無理やり連れて行くようなことはしたくないし。第一、本当に納得しないとあいつは船に乗らないよ。ヘヨンはどうだろう?」
「ヘヨンも島を離れるのは寂しがるだろうけれど、ヘジンほどの思いはないと思うの。家族みんなで行くんだし、おじいちゃんやおばあちゃんにいつでも会えるようになる、とか動物園や遊園地に毎月でも行けるって言えば説得できるんじゃないかしら。ところでこの家はどうするつもり? まさか手離しはしないわよね?」
「もちろんだ。ここは僕たちみんなのふるさとなんだから、いつでも帰れるようにしておこう。」
「じゃあ、きっと大丈夫よ。家までなくなってしまったら不安がるだろうけれど、時々はみんなでここに帰れるなら安心するはずよ。」
「とにかく一番心配なのはヘジンだ。よく考えて精一杯話してみるよ。」

 

 次の日の夕食後、スホはヘヨンとヘヒャンをウニョンに任せて、ヘジンを呼ぶと二人だけで二階の子ども部屋で向かい合って腰を下ろした。
「ヘジン。お前に大事な話があるんだ。よく聞いて。」
「なあに、アッパ。どうしたの?」
 ヘジンは無邪気に父親を見つめた。
「アッパは今は学校で音楽の先生をしているけれど、昔はピアニストだったんだ。ヘジン、ピアニストって知ってるかい?」
「うん、知ってるよ。ピアノがとっても上手な人のことでしょう? 島の人たちはみんなアッパのこと、ピアノの天才とか島の自慢のピアニストだってほめてるもん。」
「う~ん、それだけじゃないんだ。プロのピアニストっていうのは、ピアノが上手なだけじゃなくって、コンサートで演奏してお客さんに聞いてもらうことを仕事にしている人なんだ。」
「だからアッパは学校の入学式や卒業式とか村のお祝いの時にピアノを弾くんじゃないの?」
「いや、今は仕事で弾いているんじゃなくて、アッパが学校や村の式典でピアノを弾くのは島の人たちに音楽を聞いて喜んでもらいたいからなんだ。普通ピアニストが自分の演奏会を開く時はお客さんにチケットを買ってもらって、演奏を聞いてもらうんだよ。」
「チケットってソウルの動物園に行く時、入り口で買うチケットと同じ?」
「う~ん、まあお金を払うという点では同じかな。」
「ふうん。」
 ヘジンは演奏を聞くためにチケットを買うということがピンとこなくて曖昧に頷き、スホはコンサートを動物園にたとえられたことに頭を抱えた。
「ソウルのおじいちゃんのお仕事で、アッパは十二歳からずっとオーストリアのウィーンにいて、ヨーロッパでピアニストをしていたんだ。いろんな国でコンサートを開いた。でも右手の人差し指と中指を切ってしまって、この二本の指では思うような音色が出せなくなった。それでアッパはピアニストをやめて音楽の先生になったんだ。」
「今でもあんなに上手なのに、やめちゃったの?」
「そう。今まではケガしたことがわからないように一生懸命工夫して弾いていたんだ。痛めた二本の指はなるべく使わないですむように楽譜を書き変えたり、自分で曲を作ったりしてね。ケガする前のように楽譜通り弾けないことは、すごく悔しかった。でも仕方なかったんだ。全くピアノを弾かずにいることの方が、もっと辛かったから。それが昨年、手を治す方法が見つかったって、アッパの友だちが教えてくれた。イナおばさん、覚えてるかい?」
 ヘジンは黙って頷いた。
「それでアッパはおじいちゃんと一緒にアメリカに行って治療を受けた。帰って来てからもずっと注射を続けて、アッパの指はやっと元通りになった。それでアッパはまた前みたいにピアノを弾きたいと思うんだ。またコンサートを開いて、たくさんの人にアッパの演奏を聞いてもらいたいんだ。」
「ふうん…」
「でもピアニストは一日に何時間も練習しないといけないのに、アッパはケガをしてからはそんなに練習していない。アッパはこれからたくさん練習したり、いい演奏をたくさん聞いたりしなくちゃいけないんだけど、ここではどちらも無理なんだ。だからアッパはソウルに行きたい。オンマとヘジンとヘヨンとヘヒャンとみんな一緒に行って、もう一度ステージに立てるよう頑張りたいんだ。」
「いつ行くの?」
 ヘジンは不安そうに尋ねた。
「なるべく早い方がいいんだ。ヘジンは来月の入学式をとっても楽しみにしているから、お前には本当にすまないと思う。でもソウルにみんなで住む家を見つけたら、なるべく早く引っ越したいんだ。」
「ソウルに住むの?」
「そうだよ。」
「僕の学校は?」
「ソウルの小学校に行くことになる。」
「………。」
「しばらくは大変かもしれない。でもヘジンだったら新しい友だちがすぐにたくさんできる。きっとここと同じくらい楽しく過ごせるよ。」
「………。」
「ね、ヘジン。ヘジンも一緒に行ってほしいんだ。」
「………。」
「ソウルに行ったら、おじいちゃんやおばあちゃんやカング兄ちゃんにいつでも会いに行けるようになるよ。それにヘジンの好きなヤンスンおばあちゃんの海苔巻きだって、しょっちゅう食べられるようになるだろ。」

「………。」

「ね、ヘジン、」
「いやだよ!」
 ヘジンは目にいっぱい涙をためて叫んだ。
「ソウルに行くのは僕がもっと大きくなってからって、アッパもオンマも言ってたじゃないか。四年生か五年生になったらって言ったじゃない。僕はチャノやジェウンと一緒に学校に行きたいんだよ。学校でアッパと一緒に勉強したいんだよ。みんなと一緒に船に乗って遠足にも行きたいんだ。アッパ、言ってたじゃないか。『小学校の遠足はとっても楽しいから、ヘジンも一年生になったら一緒に行こう』って。ソウルに行ったら、みんなと一緒に行かれないじゃないか!」
「ヘジン、落ち着いて。本当にごめんよ。事情が変わったんだ。あの時はアッパも手が治るとは思ってなかったんだ。」
 スホはヘジンの肩を抱き寄せて宥めようとしたが、ヘジンの目に怒りと当惑が溢れているのに気づいて途方に暮れた。
「いやだよ。僕はソウルには行かないよ。」
「ヘジン…。」
「ひどいよ、アッパ。僕はここの小学校に行きたいんだ。運動会も学芸会もみんなと一緒にやりたいんだ。これからいっぱいいっぱい楽しいことがあるんだよ。どうして僕が大きくなるまで待ってくれないの?」
「ごめんよ、ヘジン。アッパは何年もちゃんと練習できなかったから、少しでも早く取り戻したいんだ。そうしないともう一度ピアニストに戻れないんだ。」
「そんなの、アッパのわがままだよ。ここにいたって島の人たちにアッパのピアノを聞いてもらえるじゃないか。どうしてソウルなの? アッパはいつも言ってるじゃないか。『わがまま言っちゃいけない。約束を破っちゃいけない』って。アッパのウソつき!!」
 そう言うとヘジンは泣きながら部屋を飛び出して、階段を駆け下りて行った。スホが急いでヘジンを追って階下に下りると、ヘジンはウニョンにしがみついて泣きじゃくっており、その横でヘヨンが心配そうにヘジンを見つめていた。
 ヘジンに声をかけようとするスホをウニョンは目で制し、ヘヒャンをスホに預けると泣きじゃくるヘジンを子ども部屋に連れて行った。
「アッパ、お兄ちゃんはどうして泣いてるの?」
 心配そうに問いかけるヘヨンを
「大丈夫。ちょっと驚いちゃったんだ。」
と抱きよせながら、スホは深いため息をついた。もとよりヘジンが一度で承知してくれるとは思っていなかった。時間をかけて説得しなければならないことも覚悟していた。しかし、いざ実際に話してみると、ヘジンの言葉の一つ一つがスホの胸に突き刺さった。かつて「ずっとこの島で暮らしたい」とチョンテにすがった幼い日の自分を彼は思い出していた。あの時とは事情が違うとはいえ、今回のことは自分の身勝手な願いなのだ。ウニョンは無条件に自分の後押しをしてくれるけれど、それを子どもたちに求めることはできないのだと、スホは改めて思った。一歳から島の保育園で育ったヘジンには大勢の友だちがあり、幼いながらも彼自身の世界を持っていた。みんなと参加してきた島の様々な恒例行事も大好きだったし、三年生になったら入会が許されるスポーツクラブでサッカーや野球をすることも楽しみにしていた。それを突然失うことになったら、途惑い、怒るのも無理はない。
「アッパ、眠くなっちゃった…」
というヘヨンの声にスホは我に返った。いつの間にか自分の腕の中で寝入ってしまったヘヒャンをベッドに寝かせると、スホはヘヨンを子ども部屋に連れて行った。ウニョンはヘジンをベッドに寝かせて、優しく頭を撫でてやりながら低い声で歌を歌っており、スホは静かにヘヨンを着替えさせると、そっとベッドに入れた。ヘヨンが寝入って随分時間がたってから、ようやくウニョンは立ち上がり、困ったような表情を浮かべてスホを見た。
 階下のリビングルームに戻り、
「ヘジン、何て言ってた?」
とスホが尋ねると、ウニョンは
「泣いてるばかりだった。『どうしてなの?』とは言ってたけど…。突然の話にびっくりして、相当ショックを受けたんだと思うわ。」
と答えた。
「そう。すんなり行くとは思ってなかったけど、ヘジンの言うこと、いちいち堪えたよ。ヘジンは自分なりにこれからの生活を頭の中で思い描いていたんだ。だからそれを突然崩されるような気持ちになったんだろうな。」
「突然、降って湧いたような話って、大人だって途惑うものよ。ヘジンは今のあなたしか知らないんだから、無理もないわ。今度は私が話してみる。あなたがどんなピアニストだったのか。あなたの演奏がどんなに素晴らしかったか。そして私が家族としてあなたのことを応援したいと思っていることもね。」
「ありがとう。実はさっき、ヘジンに『嘘つき』って言われてね。参ったよ。」
「まあ…。オッパは子どもたちに嘘だけはつくまい、って、今までずっと大真面目に子どもたちと関わってきたのにね。でも大丈夫よ。これまであなたは子どもたちのことを心から大切にしてきたんだから、その気持ちはちゃんと子どもたちにも通じているわ。ヘジンだって、気持ちが落ち着いたらきっとわかってくれる。」

 

 次の日の夜、子どもたちを寝かせてから、ウニョンは夕方の出来事をスホに話した。
「保育園から帰る途中、ヘジンの方から私に聞いてきたのよ。『オンマはソウルに行くこと、どう思ってるの?』って」
「それで?」
「私、話してやったの。前にお母様から聞いた話だけど、オッパがピアノを始めてから厳しい練習を積んだこと。そしてピアニストになるのがどれほど大変なことなのか。頑張れば誰でもなれるんじゃなくて、オッパには特別な才能があったこと。そして私があなたのピアノが大好きだったこと、そしてもう一度あなたがステージに立てるよう応援したいと思っていることもね。ヘジン、一生懸命聞いてたわよ。でもピンとはこないのよね。それに島の小学校に通うことも諦められないみたい。昨日の今日だから無理もないけど…。あの子にとっては思いもしなかった事件なのよね。大好きなアッパが突然ピアニストに戻りたいって言いだして、自分の生活まで変えなきゃいけなくなるって。
 考えてみたらこの半年余り、あの子にとっては訳のわからないことが続きすぎたように思うわ。いつも元気で病院には縁のなかったアッパが、指の治療に突然一か月もアメリカに行ってしまって、やっと帰って来ても注射を打った後は体の具合があまり良くなかったりしたじゃない? わからないことに出会うたびに、ヘジンは私やあなたに尋ねてあの子なりにわかろうとしてた。そして寂しくてもお兄ちゃんらしく頑張ろうとしてたわ。きっと不安に思ったことも心配になったこともあったと思うの。私ももっと気をつけてやるべきだったと今になって思うんだけど、ヘヒャンの世話とヘヨンの赤ちゃん返りで手一杯で、ヘジンについつい頼ってしまって…。あなたの手がすっかり良くなってやれやれと思ったら、今度はソウルに行ってピアニストになると言われて、何が何だかわからないんじゃないかしら。これからどうなるのか、すごく不安になっているのかもしれないわ。それにあなたは今までどんなことでも子どもたちのことを一番に考えて子どもたちの気持ちを聞いて決めてきたから、初めて自分の思いで動こうとするあなたにヘジンも途惑っているんじゃないかと思うの。」
 ウニョンの話をスホは頷きながら聞いていた。
「昔のことは子どもたちが大きくなって、いろんなことがわかるようになったらおいおい話すつもりだったんだ。かわいそうに驚かせてしまった。ヘジンの頭の中では相当いろんな気持ちが絡み合っているんだろうな。来週は入学式なのに、悲しい気持ちで出ることになって…。取り返しのつかないことをしてしまったね。それまで黙っていても良かったんだけど、大喜びで入学式に出た後でガッカリさせるのもかわいそうだと思ったんだ…。」
 今日は自分が帰宅してもいつものように出迎えもせず、必要なこと以外は口を開かず、寝るまで押し黙っていたヘジンを思って、スホはため息をついた。
「ヘヨンには話したの?」
「ええ。でもヘヨンには引っ越しよりもヘジンがゆうべあんなに泣いたことの方が気になってるみたい。『お兄ちゃんが嫌なら私も嫌』って感じだったわ。」
「そう…。二人がどうしても島にいたがるようなら、僕一人で行くという方法もある。でもヘジンを納得させられないままでは、とても僕は行けないよ。」
「それはだめよ。ヘジンはあなたに置き去りにされたと思いかねないわ。」
「そうだよな…。」
「どちらにしても辛い思いをさせることに変わりはないわ。ヘジンにもヘヨンにも納得できるように考えてやりましょう。私たちの親としての正念場よ。」
「ああ、わかってるよ。」
 ウニョンと目と目を見合わせると、スホはしっかりと頷いた。どうすればヘジンが納得してくれるのか、今はまだ見当もつかなかった。でも何とかしてヘジンに自分の思いを伝えたい。その手立てを考えなければ。スホはあれこれ考えを巡らせ始めた。                                

                                    

                                     

                                               (to be continued)

 

次回、"SPRING WALTZ  - ドラマの後の物語-" (6) は、6月5日発表予定です。

         この後すこしお休みをいただきたいと思います。

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プロフィール

そよかぜおばさん

Author:そよかぜおばさん
韓国ドラマ「春のワルツ」で描かれなかった15年間に興味を持ち、何とかこの空白を埋めてみよう!と皆さんからアイデアを頂きながら進めてきました。ドラマ後の物語(ピアニスト クリス・ユンの復活)も同時進行させています。「空白の15年」はまだ6年ほど残っていますが、「復活編」はひとまず完結いたしました。


これとは別に趣味のクラシック音楽の話、印象に残った本やテレビ番組、映画の感想など思いつくまま気の向くままにお話ししたいと思います。

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