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SPRING WALTZ  -ドラマの後の物語-

(6)

 

   それからもスホは折を見てはヘジンと話し合おうとしたがヘジンは頑なに父親を拒み、スホと目が合うとすっと部屋を出てしまうしピアノに触ろうともしなくなった。小学校の入学式には張り切って出かけて行きその後も元気に登校していたが、その姿が自分の学校はここなのだと無言で主張しているようにも思われてスホは切なかった。ウニョンも何とかヘジンを説得しようとしたが、ソウルに行く話になると相手がウニョンであってもヘジンは途端に表情を硬くして口を閉ざしてしまうのだった。小さな体での精一杯の抵抗になす術もなく十日余りが過ぎた三月のある晩のこと、スホはウニョンに言った。
「ウニョン、再来週ヘジンを統営(トンヨン)に連れて行こうと思うんだ。」
「統営?」
「そう、統営音楽祭。前に一緒に行っただろう? 君のスクーターに乗って。」
「ああ、あの時ね…。」
 二人は顔を見合わせて懐かしそうに笑った。
「ピアニストだった頃のことは今まで子どもたちにほとんど話してこなかったし、テレビのクラシック番組はたいてい子どもたちが寝てからの放送だからヘジンもほとんど見たことないだろう? だから僕が何を目指してソウルに出ようとしているのかわかるわけがない。言って聞かせるより生の演奏を聞かせた方がいいと思うんだ。もちろんそれですぐにわかってもらえるとは思わないけれど、ホールで演奏を聞いてヘジンが何かを感じてくれたら、と思ってね。ヘジンも小学生になったんだから一度演奏会に連れて行きたいんだ。少しでも『音楽っていいもんだな』って思ってくれたら嬉しいし。それに旅行に出れば気分が変わるかもしれないし、ちゃんと話ができるかもしれないだろう?」
 スホから統営音楽祭に誘われたヘジンはそれでもしばらく黙り込んでいたが、父親に
「ヘジンがどうしてもソウルに行くのが嫌なら行かなくていい。でもアッパが戻りたいと思う音楽の世界を一度お前に見てほしいんだ。統営音楽祭はアッパが前に演奏したことのあるところだ。ヘジンは今までプロのピアニストの演奏を聞いたことがないだろう? だから一度聞いてほしい。コンサートホールがどんなところかも見てほしい。その上でもう一度考えてくれないか。」
と真剣に言われると、それ以上は逆らわなかった。ヘジンとて父親が嫌いになったわけではなかった。ただ父親が突然ピアニストになるためソウルに行きたいと言い出した訳がどうしても理解できず、父親が別の人になってしまいそうな不安を感じていたのだ。やっと小学校に入ってこれからという時に島を離れたくはなかったが、毎日父親の困った顔を見るのも嫌だった。父親と二人だけで旅行するなんて初めてのことだ。ヘヨンも一緒に行きたがったが、ヘヨンはまだ四歳だから連れてもらえなかった。一年生になったから行ける所。そのことにヘジンはプライドをくすぐられ、ウニョンにも勧められて一緒に行く気になったのだった。
 こうしてスホとヘジンは三月下旬の週末に統営に出かけた。午前中の船で青山島から莞島(ワンド)に渡ると、スホはレンタカーを借りてヘジンを助手席に座らせた。そして、
「さあ、統営までドライブだ。」
と言った。ヘジンは初めて見る景色を車の窓から珍しそうに眺めており、ここしばらくの頑なさが少しほぐれた様子にホッとして、スホは息子に話しかけた。
「アッパが前に統営音楽祭で演奏した時は、ソウルから車で行ったんだ。その頃オンマはアッパのマネージャーで、オンマが運転してくれたんだよ。」
「マネージャーって?」
「いつもそばにいて仕事を手伝ってくれる人。アッパがピアノの練習に集中できるように、運転とか買い物とか掃除とか、いろんなことをしてくれた。」
 スホは音楽祭当日、会場に向かう途中で渋滞に巻き込まれてウニョンの運転するスクーターで会場に駆けつけたこと、翌日ソウルへの帰り道では鶏を運んでいたおじいさんの車にぶつかってしまい、逃げた鶏を泥だらけになりながら捕まえたこと、おじいさんの家で子守りをすることになり、結局その晩は泊めてもらったことなどを面白おかしく話して聞かせた。ヘジンは思わず声を上げて笑いながら、
「アッパとオンマはその頃から仲良しだったんだね。」
と言い、スホは少し照れたような表情を浮かべながら少し考えていたが、やがてヘジンに頷いて見せた。
「このこと、ヘヨンは知らないよね?」
「ああ。ヘヨンに言うんじゃないぞ。これはアッパとオンマの大事な思い出だから。今日は特別。」
「うん、わかった。言わないよ。ねえ、アッパとオンマはいろんな所に行ったの?」
「いろんな所って言ってもソウルの中がほとんどだ。ソウルから遠くに行ったのはこれから行く統営と、CDの録音に行った街だけだよ。」
「ふうん。ねえ、アッパ。コンサートのホールって島の公会堂より大きいの?」
「ああ、もっと大きいよ。コンサートのホールは音がきれいに響くように工夫してあるし、ライトも当たるからきれいだよ。」
「ふうん…。」
 スホはその日に聴くピアノリサイタルの演奏者が今年二十三歳で、ヨーロッパのピアノコンクールで優勝した新進気鋭の韓国人ピアニストであること、明日聴く予定のモーツァルトのピアノ協奏曲第二十五番は、かつて自分が統営で演奏したのと同じ曲であること、そして協奏曲を演奏するオーケストラがどのようなものかについてヘジンにわかるように話してやった。言葉での説明ではヘジンにはピンとこない部分もあるようだったが、間もなく二人が統営に着くとヘジンは音楽祭に沸き立つ街に目を丸くした。一週間にわたる開幕祭に登場する演奏家のポスターが街の至る所に貼られており、プログラムを手にした人々が通りを行き交っていた。スホは莞島で借りた車を一旦返し、翌日の予約を確認すると宿泊予約を入れていたホテルに行ってチェック・インの手続きを済ませた。そしてリサイタルまでヘジンを少し休ませようと思ったのだが、ヘジンはホテルの探検に忙しく、とても休むどころではなかった。
 リサイタルは夜六時開演なので、スホはウニョンが用意してくれたよそ行きの洋服にヘジンを着替えさせると、早めに夕食を取って会場に向かった。慣れないよそ行きを着せられて緊張気味のヘジンは入り口でチケットの半券を切ってもらうと、ロビーに溢れる人々に怖気づいたように父親の手をしっかりと握り締めながら歩いた。青山島ではイベントの参加者は普段着の島の人ばかりで、こんなに大きなホールに来るのも大勢のよそ行きの洋服を着飾った人を見るのもヘジンには生まれて初めてのことだった。ステージの上には大きな黒光りするグランドピアノが置かれていた。グランドピアノはソウルのおじいちゃんちにもあるけれど、ステージに置かれているととても大きく立派に見えると、ヘジンは思った。
 間もなく開演のベルが鳴り、聴衆の拍手に迎えられてピアニストが登場した。プログラム最初はモーツァルトのピアノソナタ K.576だった。初めて聞く曲だったが演奏が始まるとヘジンは美しい音色に魅せられ、明るく軽快な旋律に引き込まれるように聞き入っていた。モーツァルトの次はショパンのポピュラーな作品が何曲か続いた。その中にはヘジンも聞いたことのある曲があった。テレビ番組の BGM だったのか、父親が家で CD をかけていたのかは思い出せなかったが、同じ曲でもこのホールで聞く方がずっと素敵だとヘジンは思った。演奏しているピアニストはヨーロッパのコンクールで優勝しているだけあって、まだ若さも見られたがモーツァルトとショパンそれぞれの作風を見事に表現していた。スホは時おり楽しげな表情を浮かべながら演奏に耳を傾けている息子の様子を見ながら、良い演奏で良かった、とホッと胸を撫で下ろした。
 全ての演奏が終わった時、ヘジンも他の聴衆に倣って小さな手で精一杯の拍手を送った。開演前は緊張のため表情を硬くしていたヘジンの瞳がキラキラしているのをスホは嬉しい気持ちで見つめた。そしてヘジンを促して立ち上がると、はぐれないよう息子の肩をしっかりと抱いて歩き始めた。人々でごった返すロビーに出てしばらく歩いた時だった。人込みの中に見覚えのある顔を見つけたような気がして、スホは思わず足を止めた。相手もやはり驚いたような表情を浮かべてスホを見つめていたが、やがて二人の口からやがて懐かしい名前が飛び出した。
「君は…、チェ・チャンホ?」
「ユン・ジェハじゃないか。」
 かつてウィーン芸術大学で共に学んだチェ・チャンホとの久しぶりの再会だった。大学を卒業してチェ・チャンホが帰国して以来一度も会うことはなく、いつしか連絡も途絶えていたのだが、チェ・チャンホは昔のままの気さくな明るい笑顔を浮かべて人込みを掻き分けると懐かしそうに歩み寄って来た。
「やあ、こんなところで会えるとはなあ。何年ぶりだ、チェハ?」
「かれこれ…、十三、いや十四年かな? でも君、変わらないね。元気そうで何よりだ。」
「そっちこそ。息子さんかい?」
「ああ。今年小学校に入ったんだ。」
 スホは学生時代の仲間との再会を素直に懐かしく思った。チェ・チャンホは故郷釜山の音楽学校で教えながら、演奏活動もしているということだった。彼もスホたちと同じホテルに泊まるというので、三人はロビーの雑踏を抜け出すとホテルに戻りラウンジに腰を下ろした。
「実は君のことが気になりながら連絡しづらくってね。君、ずっとヨーロッパで演奏活動をしていて、十年ほど前にソウルに来てリサイタルやったろ? あの頃僕は君と入れ違いにニューヨークに行く用事があって聴きには行けなかったんだけど、やっと帰る気になったんだなって喜んでたんだ。でもその後一向に君の消息が聞こえてこなくなってどうしたんだろうと思っていたら、しばらくしてゲオルクがフィリップから君のことを聞いたと知らせてくれたんだ。君が指を痛めたこと、今は故郷の島にいること、その他のいろんな事情もね。」
「ああ、僕の不注意で指を切って感覚神経を傷つけてしまったんだ。でも治ったんだよ。友だちが治療法を探してくれて、昨年の夏にアメリカで治療を受けたんだ。神経の方はこの冬にほとんど元通りになった。まだ前のようには弾けないけれど、少しずつ練習は始めてるんだ。」
「そう? そうなのか? それは良かった。本当に良かった。じゃあ、いずれ復帰するんだね?」
「そうしたいと思っているよ。ただ、今住んでいる青山島では何かと不自由だからソウルに行きたいって言ったらこいつに猛反対されてね。小学校に入ったばかりで、友だちと別れたくないって言うんだ。」
 スホは傍らのヘジンを見ながら苦笑した。ヘジンは突然現れた父親の友人に途惑ったように何となく硬い表情のまま居心地悪そうに座っていた。
「そうか。確かに子どもは引っ越しを嫌がるね。子どもにとっては今いる所が世界の全てだからね。
 ねえ、ヘジン君。君は今日のリサイタルどう思った?」
「えっ、どうって…?」
 突然、話しかけられてヘジンは口ごもった。
「答えにくかったかな。じゃあ君は今日のピアノのお兄さんの演奏をまた聴いてみたいと思うかい?」
「はい。」
 ヘジンはチェ・チャンホの顔を見て頷いた。
「そう。おじさんもだよ。良い演奏は何度でも聴きたいものだからね。でもヘジン君、おじさんには今日のピアノのお兄さん以上に、もう一度演奏を聴いてみたいと思うピアニストがあるんだ。誰だと思う?」
「えっ?」
「君のお父さんだよ。」
 ヘジンは目を丸くしてチェ・チャンホを見つめた。
「おじさんが覚えているのは大学生だった頃のお父さんだけどね。まだ勉強中の学生だったけど、君のお父さんはコンサートで演奏したら今日のお兄さんみたいにみんなからいっぱい拍手をもらっていたんだよ。一度お父さんの演奏を聴いた人はみんな、また聴きたいって思ったんだ。お父さんにはファンがたくさんいたんだよ。お父さんがケガをしてピアノが弾けなくなったって聞いた時、おじさんは本当にショックだったし悔しかった。でもおじさん以外にも悲しんだ人は韓国にもヨーロッパにもたくさんいるんだ。その人たちはみんな、もう一度お父さんのピアノを聴きたいと思っているんだよ。」
「おいおい、何を言い出すんだよ。」
 スホは驚いたように思わず口を挟んだ。
「だって本当のことだからさ。君のお父さんのピアノは今日のお兄さんよりも素晴らしかった。だから君がお父さんのこと応援してくれて、またお父さんのピアノが演奏会で聴けるようになったら喜ぶ人がたくさんいるってこと、知ってほしいんだ。」
 そう言ってチェ・チャンホはヘジンを見てにっこり笑うと、今度はスホに向かって言った。
「これが僕の気持ちだよ。彼が理解してくれないとダメなんだろう? だからちょっとお願いしたんだ。そうだチェハ、僕の連絡先を渡しておくよ。君のはゲオルクから聞いてるけど、もし変わることがあったら知らせてほしい。」
「わかった、そうするよ。ありがとう。」
「成功を祈ってるよ、心から。じゃ、元気で。お休み。」
 チェ・チャンホは二人に笑顔で手を振ると、自分の部屋へと引き上げて行った。スホは思いがけず再会したチェ・チャンホの応援と心遣いをありがたく思いながら、その後ろ姿を見送った。

 

 部屋に戻ると、スホはヘジンのよそ行きを脱がせてやって風呂に入れてやった。朝早く家を出て初めての街に来て、初めて演奏会にも行ったから疲れているに違いない。今日は早く寝かせてやろう。話は明日帰り道でゆっくりすればいい。
 しかしヘジンはなかなか寝付かれないようで、ベッドの中で何度も寝返りを繰り返していた。スホが「眠れないの?」と声をかけると、ヘジンは小さく頷き、
「アッパ、僕、アッパのベッドに行ってもいい?」
と遠慮がちに尋ねた。スホが頷いて少し体をずらしてやるとヘジンは父親のベッドにもぐり込み、そっとスホにしがみついた。普段、青山島で暮らしている子どもには今日は刺激が強すぎたのかもしれない。母親から離れた緊張もあるだろうし、神経が高ぶって眠れないのだろうと思ったスホは、優しくヘジンの頭を撫でてやった。家の中ではお兄ちゃんらしくしっかりしていると思っていたが、一人になってみるとやはりヘジンはまだ六歳の子どもだった。
 しばらくの間ヘジンはスホに頭を撫でてもらって横になっていたが、やがて
「ねえ、アッパは今日のピアノのお兄さんが弾いた曲、弾ける?」
と、遠慮がちに尋ねた。
「練習すればね。ケガをする前は全部弾けたけど、ずっと練習できなかったから今はまだ人前では弾けないよ。」
「ふうん…。でもアッパもピアニストだった時は上手に弾けて、今日のお兄さんみたいにみんなからたくさん拍手してもらったんだよね?」
 スホは無言で頷いた。
「ふうん…。ねえ、アッパ、あれ歌って。クレメンタイン。」
「今日のヘジンは甘えん坊だな。」
と、スホは笑って息子の頭を撫でてやりながらクレメンタインを歌ってやった。生まれた時から両親の歌うクレメンタインを聞いて育ってきたヘジンはこの歌が大好きだった。
 何度か繰り返して歌ううちにヘジンはようやく眠りについた。今日一日の出来事はこの子にとってどのようなものだったろう。スホは息子の寝顔を見つめながら、どうぞそれがヘジンにとって良い思い出になってくれるようにと祈った。

 

 翌朝、ヘジンは元気に目を覚ますとホテルのレストランでバイキングスタイルの朝食をおなか一杯平らげてスホを安心させた。この日は午後二時からモーツァルトのピアノ協奏曲を聴く予定なので、それまでの時間スホはヘジンを島巡りに誘った。統営は閑麗(ハルリョ)海上国立公園の中心都市であり、海や島が美しかった。遊覧船に乗ったヘジンは珍しい形の島や岩を見つけるといちいち声をあげて楽しげに指差してはスホに話しかけた。そうかと思うと時々ふと思い出したかのように真顔になってピアノを弾くように指を動かしたりもしていた。スホが
「ピアノ、弾きたいのかい?」
と尋ねると、ヘジンは照れたように笑いながら首を振ったが、昨晩の演奏がヘジンに良い印象を残したようで、スホは嬉しく思った。
 船が港に戻ると二人は昼食を済ませて、家で留守番しているヘヨンとヘヒャン、そしてウニョンにお土産を買い、演奏会場に向かった。この日のホールは昨日より大きく、ステージにはグランドピアノの他にオーケストラ用の椅子や譜面台、それにティンパニやコントラバスが並んでいた。開演が近付きオーケストラのメンバーが楽器を抱えて登場すると、ヘジンの目は初めて見る本物の楽器にまたもや吸い寄せられた。「あれは何? その隣は何?」と矢継ぎ早にスホに質問するうちにコンサートマスターが入場してチューニングが始まった。初めて聞くオーケストラの楽器の響きにヘジンはこれからどんな演奏が始まるのかとワクワクした。チューニングが終わるとソリストと指揮者が登場した。ヘジンも一心に手を叩いた。そしてソリストがピアノの前に腰を下ろし、指揮者がタクトを振り下ろした瞬間、ヘジンにとっては夢のような時間が始まった。様々な楽器の音色が一つに調和し、それが美しい音楽になってホールに響き渡る様は、言葉ではとても表現できない素晴らしさだった。しかも途中からピアノもそのハーモニーに加わり、一緒に音楽を作っていくのだ。ピアノとオーケストラの追いかけっこのような旋律、ピアノとオーケストラが語り合うような優しい旋律、両者が共に作り上げる美しいハーモニーを聴きながら、昨日のピアノリサイタルも素敵だったけれど、オーケストラと一緒に演奏するピアノ協奏曲にはまた別の素晴らしさがあるとヘジンは感じていた。
 演奏が終わった時、ヘジンは拍手をしながら思わず立ち上がっていた。頬を紅潮させて手を叩き続けるヘジンの横顔を見ながら、スホは息子がまだ幼いながら何かを感じ取ってくれたのだろうと、感無量だった。
 人込みを抜け出して会場の外へ出ると、ヘジンはスホに尋ねた。
「ねえアッパ。アッパもさっきの曲を前にここで弾いたんだよね?」
「そうだよ。」
「ふうん。すごいよね。」
「そう? すごいと思う?」
「うん、ピアノも、ピアノを弾く人もすごいと思った。ピアノって一人で弾いてもすてきだけど、今日みたいにオーケストラとも一緒に弾けて、どっちもとってもすごいんだもん。」
「そう。じゃ、ヘジンはこの音楽祭に来て良かったと思うんだ?」
「うん。」
「そう、それは良かった。ヘジンがそう思ってくれたんならアッパも嬉しいよ。」
「ねえ、アッパ。」
 ヘジンは立ち止まってスホをじっと見上げた。
「アッパ、僕、ソウルに行ってもいいよ。」
「えっ?」
「ソウルに行って一生懸命練習したら、アッパもこんなステージでたくさんの人に聞いてもらえるようになるんでしょ? だったらソウルに行って頑張って。」
「引っ越ししてもいいのかい? 学校だって変わるんだよ。」
「うん。アッパが頑張るんなら僕も頑張る。」
「ヘジン…。」
「僕、知らなかったんだ。ピアニストがこんなにすごいって。僕、胸がドキドキして何だかゾクゾクしたんだよ。」
「そう…。」
「うん。だからまたコンサートに来たいなって思ったの。そしていつかアッパがコンサートでピアノを弾くところも、アッパがお客さんに拍手してもらうのも見たいんだ。」
 一生懸命考えながらポツリポツリと話すヘジンの言葉を聞き、スホは胸が一杯になった。ヘジンの健気さと、あれほどまでに頑なだったヘジンの心を動かした音楽の力に彼は胸打たれ、熱いものがこみ上げてきたのだった。
「その代わり、アッパ、約束して。必ずみんなからいっぱい拍手してもらえるピアニストになるって。みんなに喜んでもらえるピアニストになるって。」
「わかった。約束する。」
「本当だよ。きっとだよ。アッパ、アッパったら泣いてちゃだめだよ。」
 スホの涙は容易には止まらなかったが、いろいろな思いと共に溢れ出た涙をやっとの思いで拭くと、彼はヘジンと指切りをした。そして
「ありがとう」と息子の目をしっかり見つめて頭を撫でた。
「ね、約束。男と男の約束だよ。」
 ヘジンはにっこり笑ってそう言うと、
「アッパ、帰ろう。」
とスホの手を引っ張った。早く帰ってオンマやヘヨンに音楽祭のことを話すんだ、と目を輝かせるヘジンと手をつないで歩きながら、スホはこれまでに自分が聴衆として、また演奏者として味わった大きな感動を一つ一つ思い起こしていた。そのどれもがその後の自分を支え、力づけてくれたことを思い、人の心にこれほどまでに強く深く働きかける音楽を一生の仕事にできる自分はなんという幸せ者だろうと彼は心から感謝していた。そして息子の小さな手をしっかりと握り直して、決してこの子をがっかりさせるまいと誓いながら家路についたのだった。
       

                                                                                                      (to be continued)

 

今、ちょっといろんな用事が立て込んでますので、この続きはお盆明けくらいになるかもしれません。目処が立ったら、またきちんとお知らせしますので、しばらくお待ちくださいね。

 

mkm

 

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コメント

皆さん、チェ・チャンホ君を覚えていらっしゃるでしょうか? 
彼が最初に「空白の15年」に登場したのはチェハが大学に入った直後です。
http://myhome.cururu.jp/springstory/blog/article/31001463083
その後もちょこちょこと登場はするんですが、あまり重要な役どころではなかったので彼の印象は薄いかもしれません。

「空白の15年」ではこれからのお話になりますが、チェハがコンクールで優勝してからは韓国音楽界からも注目される存在になり、凱旋公演の申し込みがいくつも舞い込むんですがチェハはいずれも断ってしまいます。コンクールから1年ほど経ってチェハとチェ・チャンホがウィーン芸術大学を卒業し、チェ・チャンホは故郷の釜山の音楽学校から教師として招聘を受け帰国します。その別れ際に「なぜ韓国に帰らないんだい? カナダ国籍であっても君は韓国国民みんなの誇りなんだよ」とチェ・チャンホが言うんです。その時もチェハは煮え切らない返事を繰り返すんですが、チェ・チャンホも元々あまりしつこい性格ではないので、「その気になったら帰ってこいよ。待ってるから。」と言って別れます。
文中で「やっと帰る気になったんだ」とチェ・チャンホが思ったのはこの時の会話を指しています(順番が逆になってすみません。いずれ、このシーンも書きますので…。
m(_ _)m)

それから言うまでもありませんが、初めてチェ・チャンホ君が登場した時には「復活編」の構想はありませんでした。たまたまこしらえた人物がこんなところで活躍してくれるなんて…、よくぞ彼を釜山出身にしたものよ、と思わず万歳しちゃった私です。^^
(あの時は単にソウルから遠い所に住んでいてくれた方が都合が良い、と考えただけだったので…)。^^;
  • 2009-06-05 00:02
  • URL
  • そよかぜおばさん #79D/WHSg
  • Edit

スホとヘジンが統営音楽祭で聴いたモーツァルトの作品はこんな曲です。ご参考までに。^^

モーツァルト ピアノソナタ K576
ピアノ:ユーニス・ノートン

(上から順に1楽章、2楽章、3楽章です)
http://www.youtube.com/watch?v=KeUrGt4QbVI&feature=PlayList&p=38A34B0B2BC395DC&index=26
http://www.youtube.com/watch?v=w2AYyK9HjdM&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=kDvOZhtTCqI&NR=1


モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 K503
ピアノ:グリゴリー・ギンツブルク  指揮:キリル・コンドラシン
オーケストラはわかりません。

(上2つが1楽章、3つ目が2楽章、最後が3楽章です)
http://www.youtube.com/watch?v=-tibPR9nho8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=gv6279vrLzI&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=U0bavNTGcZw&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=ZkFLcbKqEd4&NR=1
  • 2009-06-05 08:49
  • URL
  • そよかぜおばさん #79D/WHSg
  • Edit

mkmさん、前回は(4)と(5)のストーリにお構いなく変な所にコメントしてしまい、すみませんでした~ <(_ _)> 
青山島から統営まで父と息子の初めての二人旅。こっそり同行している気持で最後まで読みました。
で、やっぱり客席で待っていられず、のこのこ・・・・(^ ^;)

父親スホにとってもヘジンにとっても、一生忘れられない大切な旅になったのですね。
スホがあの時の統営音楽祭を思い出しながら、ウニョンとの思い出をヘジンに話すシーンでは、チェハとウニョンの心がぐんぐんと近づいていく第9話の色々な場面が鮮やかに蘇り、当時を振り返るスホ自身の心境と、BSで初めてそのシーンを視たころを思い出す自分の感情が同じように重なって、ドラマの中に迷いこんでしまったような不思議な感覚に襲われました。
6歳のヘジンに一人の人間としてきちんと向き合い、ソウルへの引っ越しという出来事を彼の大きな成長につなげ、家族の絆を又一つ確かなものにした父親スホに、というよりはmkmさんに大拍手!!!

チャンホ君、覚えています!
再登場での活躍。釜山、チング、mkmさん、不思議な縁と運命にびっくりです。

qooちゃ~ん、(6)のストーリー、お誕生日の日に素敵なプレゼントですね!
今日は、午後時間があるのでmkmさんがリストアップして下さったモーツアルトを聴きながら陰ながらお祝いしています^^ おめでとう♪♪♪~~
「巻き毛を揺らし(ここ大事!)神が降りてきたかのように一心不乱にピアノを弾くチェハ!」 少しずつこの瞬間が近づいてきますね~~~
  • 2009-06-05 13:45
  • URL
  • Christopher #79D/WHSg
  • Edit

Christopher さん
客席からの一番乗りありがとうございます。^^ コメントの場所なんか気になさらないでくださいね。 (^_-)-☆

ソウルへの引っ越しにヘジンが抵抗するのは最初から予定に入っていたのですが、それをどう説得するかについては私もスホと一緒に悩みました。やはり生演奏を聴かせるしかないと思ったものの、青山島からだとコンサートを聴くためにどこまで出かけるんだろうと考え、ソウルよりは釜山の方が近いよね…と地図を見ていたら、釜山の手前に思い出の地、統営が…。目が吸い寄せられ即決でした。(笑)

子どもでも良いものはちゃんと感じ取るし、心に響いてくるものには大人より敏感かもしれないと私はいつも思います。ヘジンにとっては目から鱗(ってこういう時に使う?)、急に世界が開けたような2日間だったんじゃないでしょうか。

昨日、あるところでピアノ・デュオのミニコンサートを聴く機会がありました。生のピアノ演奏は本当に何年ぶりか(自分でも思い出せないくらい以前のことです)。音色がキラキラ輝いているような感じが一夜明けてもまだ私の中に残っています。どんなに素晴らしい録音でもこんな輝きはありませんね。初めてこれを経験したヘジンの心は光でいっぱいだったかも?と思います。^^
  • 2009-06-05 20:42
  • URL
  • そよかぜおばさん #79D/WHSg
  • Edit

mkmさん、6話を読んででいくうちに、目がボーっとしてしまいました。
スホの計画、見事に当たりましたね!
計算したわけではないのでしょうけど、小さな子供の心理をよく理解して、誠実に向き合った父親だからこそ、旅の最後に、息子からのすばらしいプレゼントを受け取ることができたのですね。
親子の対話、特にスホの誠実さに、うるうるしてしまいました、、、。
本当にすばらしい父親です!

チェ・チャンホ君、お名前は忘れてましたが、学生時代のお友達がいたな~と、、、。
彼を釜山に、「配置」しておいたこと、9話の舞台が、よい位置にあったことなど、素敵な偶然ですね!
mkmさんの書いてくださっている「その後」のストーリーを夢中で読んでいる可愛い天使がいるに違いありません!
あまりのすばらしい出来具合に、ぞくぞくしている私です。
以前、ストーリーが降りてきた、といわれていましたが、こういうことなのでしょうか。
私たちだけで読ませていただくのは本当にもったいない気がします。

6話の中でヘジンが、「父親が別の人になってしまいそうで不安」と書かれているところがありますが、確かにそうでしょうね。
もう、自分たちだけの父親ではなく、大勢の人たちの「クリス・ユン・ジェハ」に復帰しようとしているんですから。
へジンの不安と寂しさは、当たっています。子供はするどいですね。
島が唯一の世界だったへジン君、ホテルの中をわくわくしながら探検した姿が目に浮かびます。
「コンサートに着ていったよそ行きの服」のところでは、カングンの白いタキシード姿を思い出しました。(へジン君はもうちょっと、カジュアルだった?、、、)





  • 2009-06-05 22:31
  • URL
  • 青空 #79D/WHSg
  • Edit

青空さん
>6話を読んででいくうちに、目がボーっとして…
ごめんなさい。他の回より長いんです、6話。m(_ _)m

>スホの計画、見事に当たりましたね!
ある意味、大きな賭けだったと思います。演奏って聞いてみるまでわかりませんし、高名な演奏家でも時には「………」ということがあるわけで。^^;
なので、ここはスホの祈りが天に通じた、ということにしてくださいね。(だって、いかにもフィクション!の展開でしょう?----- 汗)
スホは親に振り回されて生きてきましたから、自分の子どもにそんな思いはさせたくないという一心だったと思います。

ヘジン君、これまでどれくらい旅行に行ってたのかなあ?と考えました。スホの学校の休みの時にソウルには行ってたと思うんですが、ソウルで泊まるのはミョンフンさんの家かヤンスンの家ですし、家族で旅行に行くこともあったと思いますけれど、2,3年おきに子どもが生まれていますから、それほど度々ではなかったかもしれません。だから大きなホテルってきっと珍しかったと思います。

で、ヘジン君のよそ行きは入学式に着て行ったもの、と漠然と考えていたんですが、韓国では小学校の入学式はみんな普段着で行くものだということを比較的最近知りました(で、慌てました (+_+))。きっとウニョンはコンサートホールで恥ずかしい思いをしなくていいものを急いで用意してくれたんだと思います。^^ 自分で作ったか、急いでどこかまで買いに行ったか。ん~、やっぱり作ったかな?
  • 2009-06-05 23:53
  • URL
  • そよかぜおばさん #79D/WHSg
  • Edit

mkmさん、目がボーっとしたのは6話が長かったせいとはちゃいますよん!(笑)
感激しちゃいました。

へジン君のよそ行きお洋服、私が思うに、(今思いついたんですけど)チスクが買って送っておいてくれたものなんじゃないかしら~。
あ、でも、ウニョンも、洋裁、得意でしたね!そうか、そうか、、、なるほど!
どっちでも良いです、可愛いいに決まっているから。スホの子供なんですからね~。

  • 2009-06-06 17:43
  • URL
  • 青空 #79D/WHSg
  • Edit

これは失礼いたしました。m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
自分で原稿を見直していて、どうも疲れるなと思って調べてみたら、これまでの回より少々長かったもので、なるほどそれで目がやられるんだと一人で納得してたんです。

チスクのプレゼント説、私も考えましたよ~。^^ いろんなものを買っては送ってくれたんじゃないか。特にチスクは女の子を育てていないので、ヘヨンちゃんのかわいいお洋服なんか目につき次第買ってくれたんじゃないかな、なんて想像してます。^^
日本だったら七五三の時に晴れ着を作ってもらう子もいますよね。(で、男の子だったらこの時のお洋服を入学式でも着る、とか)。韓国ではこういう行事はないのかな?なんて、想像はあちこちへと広がっていくので~す(笑)。
  • 2009-06-06 19:54
  • URL
  • そよかぜおばさん #79D/WHSg
  • Edit

Christopher さん、青空さん、う~ん、目からうろこの感想ですよ~~。
出遅れてしまいましたが、頭の中では毎日、ぐ~~るぐるしてまひた。HENTAIの森にいたとも言う?
ま、まさか統営が舞台に使われるとは!!!!そうきたか~~と、降参です。
本編の思い出がちりばめられた今回。ステージに駆け上がるタキシードのチェハが~~~(T0T)
mkmさん、今回は、心から納得してソウル行きをやっと決断したヘジンくんに泣かされました。父と息子の関係って、小さいときでもそうなのかしら?お互いの意見は頑として聞かないのに、第三者が入ると素直に納得してしまったり‥‥チャンホくんの活躍に拍手です。
ほいで、自分の息子たちのことについても考えてしましました。3年毎の転校で、友達との関係が深まる頃にまた引越しでした。
でも1度も「転校したくない」と言わなかった息子たちにとても感謝しております。
Christopher さん、そうです「巻き毛のチェハ」・・・近づいてきているかと思うと、気持ちもドポジに変わります。
6月5日に素敵な作品を発表してくださり、本当にありがとうございました。
  • 2009-06-08 23:57
  • URL
  • qoo #79D/WHSg
  • Edit

qoo ちゃん
>ま、まさか統営が舞台に使われるとは!!!!そうきたか~~
→そうきたのだ~~(爆)

青山島と統営が近かったからこそ使えた設定でした。感謝、感謝。
この6話を書いたのが昨年の10月か11月だったんですが、その後で神経細胞に再生能力があることなどがわかり、もしかしたらスホの感覚神経はもっと早くに回復していたかも?と思い、実はだいぶ迷いました。でもどうしても統営音楽祭を使いたかったので、神経の回復はゆっくりゆっくりにしてしまいました。(スホ、ごめんね~)

>お互いの意見は頑として聞かないのに、第三者が入ると素直に納得して
>しまったり‥‥
身内の意見だけだと、みんなで寄ってたかって自分を説得しようとしてるな、って余計意固地になっちゃいそうな気がしたんです。(自分がそうだったのかも? 誰も私の気持ちなんかわかってくれない…なんてすねたりして)。子どもの年齢がどれくらい影響するかはわからないんですけれど、間に入ってくれる人って大事ですよねえ。

qoo ちゃんの素敵な息子さんたちに乾杯!! その息子さんたちを育てた qoo ちゃんにも乾杯!!
  • 2009-06-09 17:00
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  • そよかぜおばさん #79D/WHSg
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Author:そよかぜおばさん
韓国ドラマ「春のワルツ」で描かれなかった15年間に興味を持ち、何とかこの空白を埋めてみよう!と皆さんからアイデアを頂きながら進めてきました。ドラマ後の物語(ピアニスト クリス・ユンの復活)も同時進行させています。「空白の15年」はまだ6年ほど残っていますが、「復活編」はひとまず完結いたしました。


これとは別に趣味のクラシック音楽の話、印象に残った本やテレビ番組、映画の感想など思いつくまま気の向くままにお話ししたいと思います。

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