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映画 「道 ~白磁の人~」

残暑お見舞い申し上げます。


いつの間にか梅雨も明け、本格的な暑さと戦う季節を迎え、そうこうするうちに立秋も過ぎ……。すっかりご無沙汰してしまいましたが、皆様お変わりありませんか?


映画「道 ~白磁の人~」を紹介しようと思いながら随分時間が経ってしまい、記憶もおぼろげになりつつあります。それでもこの映画の主人公である浅川巧という人の生きざまが心に深く残っていますので、覚えている限りでお話ししたいと思います。


物語は1914(大正3)年に23歳だった浅川巧氏(以下、巧)が朝鮮に渡るところから始まります。
巧は1891年 山梨県北巨摩郡(現:北杜市)の生まれ。地元の農林学校を卒業して秋田県大館営林署に勤めていましたが、兄 伯教(のりたか)が家族を連れて朝鮮に渡ったため、自分も1年後に後を追うことにしたのです。


朝鮮 京城(現:ソウル)での巧の勤め先は朝鮮総督府農商工部山林課の林業試験場でした。そこで巧は清やロシアの侵略、そして日本による乱開発で禿げ山になってしまった朝鮮の山々に木を植え、緑を蘇らせる仕事に打ち込みます。そしてそこで出会った同僚の一人 李青林(イ・チョンリム)と親しくなり、互いの国の言葉を教え合ったり子どもの成長を見守り合ったりする生涯の親友となりました。(このイ・チョンリムを演じるのがぺ・スビンさん)


また巧は美術教師だった兄の伯教を通して朝鮮の青磁や白磁に触れ、特に白磁の美しさに惹かれてその収集にも力を入れるようになります。詳しいことはわからないのですが、朝鮮では朝鮮王朝末期頃には青磁や白磁の製作が行われなくなったらしく、立派な焼き物が作者もわからないまま放置されていたそうです。このままでは素晴らしい文化が失われてしまうと危惧した巧は兄と一緒にそれらを集め、柳宗悦(やなぎむねよし)と共に 1924年に朝鮮民族美術館を設立しました。


巧は植林の仕事にも白磁器の蒐集にも精一杯打ち込み成果を上げましたが、私が一番心を打たれたのは巧がこの時代の大部分の日本人とは異なり、朝鮮の人々と分け隔てなく付き合い、朝鮮の言葉や文化を学んだその生きざまでした。


1910年に日本が韓国を併合して以来、日本人は朝鮮の人々を見下し、日本語を使うよう命じていました。電車の中で座席に座っていた朝鮮のお年寄りを立たせて、日本の軍人が座るということも日常茶飯事だったそうです。


そんな中で巧は朝鮮に住む以上は朝鮮の言葉を学ぶべきだと考え、同僚から朝鮮語を習い、朝鮮の服を身につけて暮しました。朝鮮語の習得はとても早かったそうで、朝鮮の人ですら巧が日本人だとは気付かなかったほどだとか。


貧しい人に学費を出したり、野菜売りのおばあさんが隣家で値切られていれば、その分も上乗せし手代金を払ったりという日々の交わりを通して、日本人全般に対して反発心を抱いていた朝鮮の人々も巧には心を開いたということです。そして巧が40歳で急性肺炎のため亡くなった時、その死を悼んで集まった人々が競って巧の棺を担いだということです。


巧の墓は今もソウルにあり、韓国の人々の手で守られています。韓国と日本の戦中戦後の長い日々を思う時、国レベルでは解決の難しいことがまだまだ多くあることを感じずにはいられませんが、反日感情が今よりもずっとずっと強かった時代にこれほどまでに朝鮮の人々に慕われた浅川巧という人がいたことを思うと、人と人を本当に繋ぐものは心からの誠意であることを感じますし、浅川巧という人の生き方を知って「あの時代にこんな日本人がいたのか」と、大きく心を揺さぶられるのを感じました。


映画の中で、「日本人と朝鮮人が理解しあえるなんて、見果てぬ夢なのだろうか」と絶望の言葉を口にする巧に向って、チョンリムが「夢であったとしても、それに向かって行動することに意味があるのではないですか」と答えます。朝鮮に渡ってからの巧の人生は「それに向かって行動した」日々だったのだと思います。そして彼は確かなものを後世に残していったのだと思います。


この映画は、巧が朝鮮に渡ってからの生活、イ・チョンリムとの出会いと友情、植林の仕事、白磁との出会い等々を淡々と描いています。あまりに淡々としていて これといった山がなく、正直途中で少し退屈に感じもしました。でも終盤になって何かに強く心をつかまれるような不思議な感覚を覚え、帰ってから巧のことをもっと知りたくなったのは、最初から最後までぶれることのなく一途に貫かれた巧の思いだったのかもしれません。


それから副題となっている「白磁の人」について。
白磁は当時の朝鮮で日常生活に普通に使われているものだったそうです。例えば高級な焼き物を普段使いにするのは抵抗を感じるものですが、白磁は大変美しい焼き物なのに人々は平気でキムチ入れにもしてしまう。それでいて全く違和感を覚えさせない。巧はそんな白磁のような人だと言われていたそうで、そこからこの映画の副題がついたということです(こんな説明でわかるでしょうか…?)


この映画の原作を図書館で借りて読んでみましたので、最後にご紹介します。上の「白磁の人」は巧の伝記で、下の「冬萌の朝-新・白磁の人」は「白磁の人」を小説化したものです。


「白磁の人」          江宮隆之著   河出書房新社
                       (河出文庫)
「冬萌の朝-新・白磁の人」   江宮隆之著   柏艪舎






mkm









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コメント

見たいと思っていました( ´ ▽ ` )ノ

mkmさん、こんにちは。
この映画、とても見たいと思っていましたので、解説入りの記事!とてもありがたいです。
サブタイトル「白磁の人」の意味が、感慨深いですね。

毎年この季節になると、国や民族でカテゴライズすることの意味(目的)って何だろうと、頭の中が?はてなマークだらけになります。
そのくせ、五輪での日本の活躍を応援している自分もいて。。。今年はなおさら?はてなだらけになりました。
  • 2012-08-16 07:25
  • URL
  • ちょうちょ♪ #On/TYujw
  • Edit

Re: 見たいと思っていました( ´ ▽ ` )ノ

ちょうちょ♪さん、こんにちは!

もし興味がおありなら、上記の本、お勧めです。
2時間ほどの映画では描ききれない部分も多く、これこそ日韓合同で連続ドラマを作ってくださらないものかと思いながら帰ってきたくらいなんです。

国、民族、国境………。考えれば考えるほどに頭が「?」だらけになる今日この頃。ロンドンオリンピックの閉会式で流れたジョン・レノンの "Imagine" を、つい思い出します。うまくやっていける道をみんなで見つけられますようにと祈らずにいられません。
  • 2012-08-16 18:12
  • URL
  • mkm #0ls4tc0A
  • Edit

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プロフィール

そよかぜおばさん

Author:そよかぜおばさん
韓国ドラマ「春のワルツ」で描かれなかった15年間に興味を持ち、何とかこの空白を埋めてみよう!と皆さんからアイデアを頂きながら進めてきました。ドラマ後の物語(ピアニスト クリス・ユンの復活)も同時進行させています。「空白の15年」はまだ6年ほど残っていますが、「復活編」はひとまず完結いたしました。


これとは別に趣味のクラシック音楽の話、印象に残った本やテレビ番組、映画の感想など思いつくまま気の向くままにお話ししたいと思います。

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