とにかくいろいろな意味で、「すごい…」としか言いようのない映画でした。
新聞広告で、韓国の聴覚障害児学校で起こった児童への暴行や性的虐待を告発した先生と児童の物語と知り、この手のテーマがどうも気になるものですから覚悟を決めて見に行ったのですが、想像していた以上の内容に打ちのめされました。
これが事実なのか、これが本当に起こったことなのか…。
校長を筆頭に、複数の教師・学校関係者がこの件に関わっていたという救いようのない事実。
そして親の代からその土地の有力者である校長とその弟は警察にも顔がきくため、逮捕はされても裁判を有利に戦う手段を馴染みの刑事に教えてもらえるという許し難い現実。
事件を知っていた学校職員も、事実を証言すれば自分の職が危うくなるため嘘の証言をしますし、被害者である聴覚障害児の懸命の証言はなかなか取り上げられません。
そして結末も、いかにも映画的な「勧善懲悪」ではありません。
ただ最後の最後に、この映画が昨年韓国で公開されてから韓国社会に起こったことを簡潔に説明したテロップに少しほっとできたのが、せめてもの慰めでした。
この映画で被害者となったのは自分から言葉を発することの難しい子どもたちであり、彼らが学校そして寮という密室度の高い場で暮らしていたから起こったのです。しかも被害を受けたのは両親がいなかったり、親自身も障害を持っていたりで、しっかりと守ってくれる保護者のない子どもたちばかりでした。(親が子どもを守る力を持っていなかったばっかりに、学校側から示談を持ちかけられ、お金目当ての親族が簡単に示談に応じてしまったため法廷で加害者の追及ができなくなったケースもあったといいます)。
この事件が2000~2005年という、「つい最近」と呼べる時期に起こったことということに更に驚きを覚えます。何の説明もなければ、こんなにもおぞましく恐ろしい事件は遠い昔の出来事だと考えたくなってしまいますが、弱い者への虐待は、ふとしたきっかけでどこででも起こりうるのだということを改めて思い知らされました。
しかし、何よりも心揺さぶられたのは、子どもたちへの虐待の描写のリアルさだったかもしれません。目を覆いたくなるシーンがいくつもありました(18歳以下の青少年は鑑賞禁止になっているのも頷けます)。そのため見た後の衝撃が大きかったのですが、被害者役を演じていた、恐らく12,3歳であろう子どもたちの心に、この役を演じたことが深い傷となって残るのではないか。そんな不安も湧いてきました。日本ではこのような映画は作ることができないのではないか。そんなふうにも思いました。
今の日本でも、子どもたちへの性的虐待事件は後を絶ちません。被害者が泣き寝入りしていることも少なからずあることと思いますが、事件が明るみに出た場合でも新聞テレビでの報道では「猥褻行為」などと曖昧にしか表現されないため、その実像に迫ることができずにいました。だからこそ、この映画で描かれた性的虐待の残酷さ、恐ろしさ、むごたらしさに打ちのめされたのだと思います。
映画を見てすぐ図書館に原作本を予約しておいたのがようやく借りられましたので、これから読んでみます。
最後に。
この映画は原作本を読んだ俳優のコン・ユさんが「是非、映画化を」と働きかけたことによって生まれました。コン・ユさんは「コーヒープリンス 1号店」で見ただけですが、「コーヒー …」の時は「優しいお兄さん」風だったのが、この映画ではさらに大きく深い愛に溢れた「お父さん」になっておられました。病弱なひとり娘への思いと虐待を受けた生徒たちへの思いの間で葛藤しながらも、子どもたちとともに懸命に歩もうとする姿に何度も胸が熱くなるのを覚えました。
見て楽しい映画でも元気が出る映画でもありません。でも3ヶ月たった今でも、まじめにそして真剣に作られた良い映画だったと思えます。
mkm
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